広島での被爆者 サーロー節子さん、ノーベル平和賞受賞でスピーチ


12月10日、ノルウェーのオスロでノーベル平和賞の授賞式が行われ、トロント在住のサーロー節子さん(85歳)が、13歳で広島にて被爆してから70年にわたる核兵器廃絶の活動に対し、賞状とメダルを授与された。
(写真はイメージです)

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♦被爆者・サーロー節子さん、核廃絶活動でノーベル平和賞受賞し、改めて核廃絶を訴えた

ノルウェーのオスロで12月10日に行われたノーベル平和賞の授賞式が行われた。受賞したのは広島出身、カナダ在住、広島原爆投下においての被爆者であるサーロー節子さん(85歳)。
ともに核兵器廃絶の活動を行ってきた国際NGO(非政府組織)の「ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)」のICAN(アイキャン)事務局長とともに、賞状とメダルを授与され、この日演説を行い、改めて核兵器廃絶を訴えた。
サーロー節子さんは、「わたしたち被爆者は72年にわたり、核兵器の禁止を待ち望んできた。これを、核兵器の終わりの始まりにしようではないか」と、85歳の高齢とは思えない力強い演説を行った。
授賞式では、核保有国の大使が欠席しており、この異例の事態に世論は、「核廃絶キャンペーンに対する無言の圧力」と避難する声が上がっている。
またサーロー節子さんは、前日の記者会見で「核兵器禁止条約」に参加しない日本政府に対し、「最悪の悪夢」「唯一の被爆国だから恐怖を知っている」「平和運動の先頭に立つべき」「一貫性がない」「政府の敬意や信用を落としており悲しい」などと述べ、同時に米英仏に対しても、「ICANの活動を妨害してきた」と非難した。米英仏の大使は、みな授賞式を欠席している。

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♦ノーベル平和賞受賞、広島の被爆者・サーロー節子さんとはどんな女性?経歴は?

サーロー節子さん(セツコ・サーロー):旧姓・中村節子
生まれ:1932年1月3日(現在85歳) 広島県 武士階級の家系
学歴:広島女学院高校および大学卒業後、1954年米国リンチバーグ大学へ留学
結婚:1955年、カナダ出身の関西学院英語教師と結婚、カナダ・トロントへ移住
子ども:ふたりの息子
トロントへ移住後、世界大学偏差値19位(東大は43位)のトロント大学へ。
社会福祉事業の修士号を取得したのちソーシャルワーカーとして活動する。

被爆:1945年8月6日、米国が広島に原爆投下。サーロー節子さんが広島女学院に通っていた13歳のとき。
当日は、広島市の中心街から1.8キロメートルのところにある第二総軍司令部へ。節子さんはここで、前線から届く暗号を解く特別な訓練を受けていた。
そして前触れもなく閃光が光り、爆発音は何も聞こえなかった(爆心地近くでは音は聞こえなかったが、遠くでは爆音が響いていた)という。建物の瓦礫の下敷きになったが、這い出ることができ、九死に一生を得た。
サーロー節子さんは、「あのとき目の当たりにした恐怖と被害を二度とくり返させないために生きてきました」と、『沈黙の閃光』と題した文に書かれている。(原文:A Silent Flash of Light)

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